「どうしたんだい、そんなところで。」

眺めていた本から目を上げた。赤司くんが訝しげに私を見下ろしていた。図書室で本を眺めているのは、問われるほど不思議な光景だろうか。どうしても読み進められなかった。いくら字面を追っても意味が分からなくなって何度も読み返す。それでもさっぱりになってしまって、読むことを諦めた。
諦めてどれくらい経ったんだろうか。今更のように時計を見るとそろそろ下校時間になるところだった。


「ごめん、なさい」
「何に謝っているんだ」
「すぐ、返事しなかったから」

赤司くんは無駄のない動作で隣に腰掛けた。他に人が見当たらず、とても静かだった。背後にしていた窓の外を見ると日は沈んでいた。どうして赤司くんは図書室に来たんだろう。今日は部活がお休みだと聞いたから図書室に来たのに、何か問題でもあっただろうか。

「ねえ
「何?」
「同じページを見続けて何が面白いの?」

それは私も聞きたいことだ。何の面白みもない。ただ開きっぱなしのページは栞になるものがないだけで意味もない。ページ数を覚えるのも億劫だった、それだけで。

「分からない」
「ふうん」

つまらなそうに、まるで興味がなさそうに赤司くんが本を取り上げてぱらぱらと適当に流し読みを始めた。私はどこまでこの本を読んだだろうか。恐らくまだ半分も読んでいない。ぼうっとして様子を見ていたら赤司くんがさっと立ち上がった。目で追っていると何列もある本棚の間に姿を消してしまう。すぐに出てきたものの既に手ぶらだ。読みかけだった本を本棚に返してしまったようだ。
何というタイトルだっただろうか。誰の書いた物語だっただろうか。もう、分からない。
タイミングよく、私にとって悪く、下校時間を知らせるチャイムが鳴った。

「赤司くん」
「帰るよ。何をぼさっとしているんだ」
「うん」

赤司くんが座った方とは反対に置いていた鞄を手に立つ。赤司くんも座った時に置いた自分の鞄を肩にかけていた。カウンターを振り返ったら当番だったらしい図書委員がだるそうに出て行けというポーズを作っていた。





夕闇に溺れている道は寂しげだった。とはいっても道自体に寂しさがある訳はなくて、これはただの私から押し付けた印象だ。隣を往く赤司くんはそんな事少しも頭にないだろう。もっと真面目な事を考えていたとしても、こんなにくだらない事は自ら捻り出さないはずなのだ。全体を通してやはりくだらない事を考えながら視線だけ空を見上げるとオレンジというか赤というか、これぞまさしく茜色が広がっていた。
すたすた歩いているだけで、たまにローファーを擦る音がする。描写するには殺風景ないつもの風景、平凡な商店街、繋がる住宅街、野良猫一匹通らなかった。まだカーディガンを着るほどではないけれど肌寒い。私には寂しげに映る街。本当は私が寂しいのだろう。


「何かな」
「俺は本屋に寄って行くよ。お前は」
「…行く。」

今1人になるのは何だか辛いのです。

弱音を吐く前提で言い訳を考えながらその背中を追う。キセキの中で赤司くんより背が低いのは黒子くんだけであとは皆180センチ以上あるから普段は小さく見えるのに、私と2人だと頭半分は大きい背。スポーツをしているから洗練されてはいるけれどしっかりとした体格で、それに勝るとも劣らない風格が彼を際立たせる。いつまでこの背中を追えるだろうか。いつまで並んでいられるだろうか。もうすぐ高校進学だけれど、赤司くんはバスケの強豪校に行くというのは分かっている。キセキの世代は皆引く手数多、どこにその駒を進めるのだろう。同じ高校に進学したいと当たり前のように考えた。今更進学先を考えるなんて、普通遅いと言われるけれど。

本屋に入ってすぐ、赤司くんは目当ての本を探しにか店内の奥の方へ流れていってしまった。行くとは言ったものの、欲しい本は今のところない。折角頭に浮かんだので受験関連書籍コーナーに向かった。
もうとっくに設えてあるそのコーナーで高校受験案内と書かれた無駄に分厚い本を手に取る。同じような内容の本が何冊も、何冊も、こっちが分かりやすいこっちはカラーだこっちは図表が云々。ここだけで限りない情報が溢れていた。赤司くんはどんな学校に進むのだろうか。

「……はぁ…」

皆が同じ高校に進む事はないだろう。それぞれがスポーツ推薦で先へと行ってしまうはずだ。いつまでも一緒にいられる訳はない。高校が同じでも今度は大学で、会社で、同じように分岐するのだ。かといって今生の別れもまたありえない。高校や大学なら試合でまた会えるだろう。それにバスケにこじつけなくたって会おうとすればいくらでも会えるのだ。
そんな。そんな先まで考えたって不明瞭なことなのに。

「今悩むなんて一般的には鈍間もいいところだよ」
「…赤司くん」
「どうせ同じ学校に進学したいとか思っているんだろう」
「うん」
「甘えもいいところだな」
「そうだね」

それでも、そう思えるほど好きなんだ。
ふと見ると彼はハードカバーを1冊手にしていた。

「赤司くん、その本は?」
「…『その本は』?」

呆れた口調ながら赤司くんは表紙を見せてくれた。全く覚えがない訳ではない、どこかで見た装丁だ。さて何の本だっただろうか。
半ば真剣に考えていると赤司くんが眉を顰めた。そんな顔をされるような本なのだろうか。

「本当に分からないの?」
「…。」

肯定。頷くと赤司くんは肩を竦めてレジの方に歩き出してしまった。眺めている格好のままだった分厚い情報の束を陳列棚に戻して慌てて1歩後ろをついていく。

「さっきまで自分が見ていた本じゃないか」
「あ…」
も随分と抜けているね。全く、心労が積み重なるばかりだ」

しかしどうして私が見ていた本なんか買うのだろう。もう読み進めようのなかった本など、どうにもしようがない。何となく書名で読む本を決めたりする私の事だ、また図書室に赴けば感性で見つけられるだろう。赤司くんはあのパラパラ捲ったページの中でこの本を気に入ったのだろうか。

赤司くんが買ったのはその1冊だけだった。愛想笑いの会計を済ませてすぐに書店を出る。そのまま歩き出すのかと思ったら、目の前に今しがた出てきた本屋の名前が入ったビニール袋が突き出された。まさか私に?

「…赤司くんが読むのではなくて?」
「進学祝だ。」
「え、だけど私まだ、」
「買ってやったのだから大事に持っていろ、あと、お前から借りるからね。」
「はい、」
「失くしたら承知しないよ、当たり前だけど。それと、俺は洛山に行く」

今、さらりと聞こえた。赤司くんの進学先。洛山といえば確か、京都にある強豪校で、IH常連のはずだ。
教えてくれた、ということは、

「私、ついて行ってもいいの」
「愚問だね。役に立たなければいらないよ」
「まだ勝つお手伝いができるのね」

京都では親から簡単に許しはもらえないだろうけれど、赤司くんが進むなら絶対に諦めない。全てにおいて正しい彼が私を許してくれるならそれでいい。今からでもいい、試合中だって役立てるようにもっとバスケのことを勉強しよう。
私は自分でも驚くほど、あるいは自分が思っているより赤司くんの事が好きなのだと思う。赤司くんの言うことならいくらでも努力できて、何でもこなせるのだから。

「早く帰るよ。明日は朝も付き合ってもらう」
「分かりました、主将」

帰ったらまずは受験のための報告をしなくてはならない。一晩は戦いになるだろうか。

「では、気をつけて帰るように」
「ありがとう赤司くん。また明日」
「あぁ。」

分かれ道でさよならをして、足早に家へと向かった。

深遠の夢