ありがとう、とらしくもなく沈んだ顔の黄瀬くんは言った。女の子からの告白タイムが終わるのを、その女の子が泣きそうな顔で立ち去るのを待っての登場はかなり辛かった。嫌なものだ。私が黄瀬くんに恋していて、だからそんな場面見たくなかったという方がまだ可愛らしいし苦痛の種類も違ってくる。だけど私が恋しているのは黄瀬くんじゃない。彼は海常バスケ部のエースで私はマネージャー、それからクラスが一緒だというだけで私達は良い友達だ。中途半端な気まずさが後味の悪いことになっている。

「私何もしてないよ」
「なんつーか、しないでくれてありがとう、てな感じっスよ」
「何それ」

はいとドリンクを渡して、水道の前で無為に時間を潰した黄瀬くんのことを一頻り笑った。短い休憩の間に顔を洗いに来ただけのはずのエースが帰って来ないものだから、笠松先輩は苛々と(どぎまぎしながら)私に様子見を言い付けたのだ。

「俺、笠松センパイに怒られるんスよね」
「愛だね」
っちは何もされねーからそんな…」
「ほんと、出来る限り目も合わせてもらえないわ」

私は笑ったのに、イケメンの困った顔は固まった。事実を言ったまでなんだけど。笠松先輩と目が合うと顔を赤くして視線を外される。部活に関する会話の時はまっすぐ見てくれるのに、それ以外はてんでだめ、まるで別人のよう。

「…やっぱり、笠松センパイの事好きなんスか?」
「うん、そうだよ」

中学校から一緒の黄瀬くんに付いてくるように海常へ来た私だけど、モデル様を慕える柄じゃない。折角なら友達が行くところがよくて、東京から通えて、それでいてバスケ部が強いところ。桐皇にはさつきちゃんも行っちゃったし、緑間くんの通う秀徳は偏差値高いけどわざわざ背伸びしたくない。だから黄瀬くんが引き抜かれたここに来たのだ。
笠松先輩が好きになった理由は単純明快だけど、覆るほど柔じゃない。一緒にいるだけその人柄に惹かれていった。

「センパイ、女の子苦手っスからねー」

ね、と合わせて笑うも黄瀬くんには作り笑いがバレている。仕方ないと分かっていても、拒絶されているようで悲しい気持ちになってしまうのだ。

「おい黄瀬!いつまで…」

笠松先輩の怒号が飛んできた。呼びに来た私まで戻らなかったから、業を煮やしたのだろう。金髪目掛けた蹴りが目の前で鮮やかに決まる、そんな光景を思い描いた、けれど。
主将は煮え切らない顔をして、ふいと体育館の中に戻ってしまった。エースを急き立てなかった私が悪いのに。

「センパイ待ってくださいよー」

軽やかに追いかけた黄瀬くんと並ぶことは出来なかった。







誰が見たって明白なことに、主将の動きは精細さに欠けていた。フォームは変わらないけどかなり荒削りになったプレイは部内の練習試合じゃなかったら即スタメンから外されたことだろう。この数日間直ることのなかったそれに一番腹を立てているのは誰でもない本人で、俺ら外野には突っ込みづらい雰囲気が広がっていた。

「――くそっ!」

部室で一発、豪快な打撃音が響く。ガシャンと鳴ったロッカーはよく耐えるものだ。他校との練習試合を前にした焦りは部員にもびしびし伝わるものの、今出されている焦りは一段違う。いつもなら叱咤する側の笠松センパイから発されるからか調子が狂ってしょうがない。

「いい加減にしとけって、笠松」

森山センパイが呆れるように言った。

「何だか知らんが落ち着け」
「落ち着いていられるか!!」

殴り掛かりそうな勢いで吐き捨てて、笠松センパイは部室を飛び出て行った。焦ってもそれだけ空回りするのは本人がよく分かっているだろうが、分かっているだけで何も活かされちゃいない。周りも気付き始めてはいても、きっと理由を知っているのは俺だけだ。全く柄じゃないしみすみすいい子を逃すのはかなりもったいないが、カッコよく解決してみるのも、たまにはいいかもしれない。
我らがキャプテンの歯車が狂い出したのはっちが俺の様子を見に来た時だ。っちを引き止めて話をしていた俺に蹴りを食らわすはずだったろうに、彼女を見て苦々しく思ったかあっさり引き返した、その後から。彼女の笑みは端から見たんじゃ作り物か解らない。笠松センパイも例外じゃなくて俺と談笑して見えたはずだ。
俺達は皆笠松センパイがマネージャー・っちを好きなことを知っている。というかうちの部で彼女が気にならない奴なんていないんだけど、主将のお熱は度が違った。女の子が苦手で奥手より劣勢な笠松センパイの"恋"は誰が見たって一目で分かる。分かってないのは当のっちくらいだろう。ただ、その逆――笠松←の図式は俺以外誰も知らない。想いを寄せられている本人さえ全く気付いていない。平等であろう公平であろうとするマネージャーの仕事はそれだけ完璧だったのだ。

「笠松センパイ」
「……何だよ」

バスケットゴールの前で1人ボールを入れ続ける主将を呼んでニッと笑ってみせる。

「やりましょうよ、1on1」
「なんでお前とやんなきゃいけねーんだ、ふざけんな」
「まーまーそう言わずに、やってほしいんスよ」

応戦というより防御するけど、ぶっきらぼうを通り越して空気が痛い。正直彼を知らなかったらものすごく怖い。声を掛けたのが俺だからか視線が槍のように飛んできた。

「…それとも、っちを取られてそれどころじゃないんスかね?」

バスケットゴールがガツンと鈍い音を立てた。見え見えの挑発にあっさり引っ掛かったのだ。燻らせている気持ちが暴発したか、投げやりなような自棄なような、負けず嫌いの火が着いたらしい。やっぱりそう来なきゃしょうがない。結果の見えている無謀なチャレンジで教えてやる、っちのことを。







黄瀬の訳が分からない1on1の挑戦状に、自分が全く歯が立たない事はよく分かっていた。普通ならある程度やり過ごすくらいは出来たかもしれない。今の俺じゃあ素人レベルにしかなっていないんだろう。そんな事言われなくても分かる。
どうしようもねぇのになんでほいほい付き合ってんだか。
相手の手は抜かれていない。それを敬意の表し方とでも言うつもりなのか少しも抜けやしない。安い挑発に乗ったものだ。誰のものでもないはずなのに“取られて”なんて言われて腹立たしくなって。それとも、本当に黄瀬のもの、になったのか。

「センパイよそ見しないでくださいよ」

ボールが軽快にネットを揺らした。どれだけ取られたのかは最初から数えてもいない。諦めているとかいう問題じゃない。闘争心なんてはじめからなかった。ゴールに思いっきりボールを叩きつけてやったけど、それだけでどうでもよくなった。馬鹿馬鹿しい話だ、あとどれだけ黄瀬に付き合っていればいいんだろう。大体俺が体育館に戻ったのは練習試合が近いからだったのに。これでは今日の練習はもう終わりだ。黄瀬はまた入れる。

「――何してるんですか!?」

驚きの声がそのシュートを不発にした。

…」

片付けや明日の準備に追われていたのだろうマネージャーはかごを抱えて入り口で立ち止まっていた。

「はぁー…っち、お疲れっス」
「お疲れ、じゃなくて!休むってことを覚えてよ!」

至極真っ当な突っ込みが飛んでくる。彼女のマネージャーとしての一番の売りは選手の状態を見抜けることで、怪我はすぐ見つけるしちょっとしたコンディションの違いも分かるようだった。帝光中でもそれを活かしてマネージャーをしていたらしい。それだからか練習量にも人一倍気を遣っている。無駄な積み重ねが無駄で終わるのが困る気持ちは分かる。
は手を止めた黄瀬からボールを奪い、勝手に終わりを宣言する。あぁその手があったかとのんきに思った。

「…笠松先輩も、無理しないでください。黄瀬くんに付き合う必要なんてありません」

幾分声のトーンが落ちた。やっぱり黄瀬のものになったか。その黄瀬はニヤニヤしながら小さい彼女を見下ろしている。

「1on1なんてしている場合じゃ…」
っちは何してたんスか?」
「私のことなんてどうでもいいんです!ただのマネージャー仕事だし…」
「こんなに時間掛けなくていいはずっスけど…あ、っちもキャプテン取られてそれどころじゃなかった?」

顔色の変わらないの顔がさぁっと赤くなった。“も”俺を“取られて”。黄瀬の言葉が分からない。は手にしたボールを黄瀬へと思いっきり投げつけた。「そういうのは黙っておいて」、珍しく声をあげてリバウンドしたボールを選手の身体を気にしながら、それでもまたエースにぶつける。分からない。

「こんくらいはっきり言っても、笠松センパイ分かってないみたいっスね」
「黄瀬くんが!変な事言うから!」

体育館の床にボールの跳ね返る音が規則正しく響く。全然理解できていない。
やられっ放しのまま「痛い、痛い」と言っていた黄瀬がさすがにボールを受け止めた。武器を止められたは元通りかごを抱えて俯いた。かごの中にはドリンクボトルが詰められている。今日使ったものを洗ってきたのだろう。

「笠松先輩は黄瀬くんの言ったことなんて気にしなくていいですから」
「…は?」
「ひどっ。代わりに言ってあげただけじゃないっスかー」
「必要ないの!女子が苦手なら、ってちゃんと距離置いて…」
「それこそ必要ないんスよ」

黄瀬がびしっとの戸惑う目を指した。状況についていけず口を出せない俺に気遣われることはなく話はどんどんと進む一方だ。それは、ただ見せ付けられているだけのようで。

「……いい加減にしろ!!」

俺が言えたのはそれだけだった。はしな垂れたが、黄瀬は変わらず飄々としている。

「お前らが何したいんだか知らねーけど、俺の邪魔をするな!」
「こっちのせりふっスよ、それ。」

黄瀬は呆れたように俺を見る。見下ろす。

「2人のせいでチームが負けるのは御免なんスけど。いいからくっつけばいいっしょ」
「な、何言ってるの黄瀬くん」
「馬鹿なこと抜かしてんじゃねーよ、はお前の――」

そこでは酷く傷ついた顔をこちらに向けた。なんで、そんな顔をする。そんな顔でこっちを向くんだ。女のことなんて全く分からないし、それは信頼しているだって同じだ。黄瀬の言ったことも分からない。分からないことだらけの中で、黄瀬が溜息を落とす。

「両想いだって教えてやってんの、分からないんスか?」

分かるかよ、そんなの。両想いってなんなんだ。

恋慕うノクターン