「『ちゃん』」
「はい?」
後ろからかかった声に振り返る。いつも通りの禊さんが立っていた。にこにこしている。
私のことをちゃん、なんて呼ぶのは彼くらいだ。皆が皆、大体は苗字で呼ぶ。私もそうする。だけど、禊さんは随分とくだけていて、名前を教えて次の瞬間からちゃんになっていた。
「『今日、放課後暇?』」
「あ、えっと…ちょっと職員室に行きますけど、あとは暇ですね」
「『じゃあさ!一緒に遊びに行こうよ』」
「いいですよ」
別に断る理由もないので、承諾の返事をする。「『やったー!!』」と跳ねる禊さんはとても無邪気で楽しそうだ。
「『放課後になったら迎えに来るよ!いいよね』」
「いいですよ」
「『オッケー、じゃあ僕は行くよ。』『待っててね!』」
「あ、はい、また後で」
禊さんは3年生で、教室は勿論違う。来た方へと戻っていく。私は振り向きなおして、自分の教室に向かった。

自分の席についてまもなく、目の前に人吉くんが飛び込んできた。普段はノリのいいクラスメイトはかなり焦った顔をしている。
「おい!お前、球磨川と何があった!?」
バン、と机を叩かれた。私も、周りも驚いて人吉くんを見る。
「…何もないよ?あ、今日は遊ぶ約束した」
「遊ぶだぁ!?」
「うん、遊ぶ。迎えに来るって」
「……」
人吉くんの顔が引きつる。なんでか、なんて全然分からない。禊さんと遊ぶのが何か問題なんだろうか。生徒会の人吉くんが、禊さん始め−13組とあまり仲良くないのは全校生徒が知っている。でも、禊さんはそれこそ度肝を抜く公約を掲げたりもしたけれど、本人はなんだか拍子抜けするくらい普通だった。
「なんか、ダメなの?」
「ダメなのって…球磨川だぜ?だって嫌なら断って…」
「嫌じゃないよ。」
何も知らずに嫌がるなんて、差別じゃないか。嫌がる理由もないうちに嫌だと主張するのは難しい。
「禊さんのことは、随分不思議に思うけれど、嫌じゃないよ」
人吉くんが押し黙る。何か言おうとしたのか、唇だけが動いた。禊さんを遠ざけるのは、嫌がるのは生徒会の人吉くんなら当たり前のことかもしれないけれど。
「…嫌なら、言えよ」
諦めたように、仕方がないように言われた。

「禊さん、お、お待たせしましたぁ…っ」
「『あれー、早かったね』『もしかして僕のために走ってきちゃった?』」
「あはは…少しだけ、ですけどね」
「『なーんだ全部じゃないんだ。残念っ』『でも、嬉しいよ』『惚れちゃうぜ』」
禊さんはよく面白い嘘を吐く。いわゆるお世辞なんだろうけど、とてもオーバーで思わず笑ってしまう。
「やだ禊さん、そういう事は彼女に言ってくださいよー」
「『んー、どの彼女?』『えーっと、昨日一緒に帰ったあの子かな?それともあの…いや、昼休みのときの子かな。』『どの子がいい?』」
「そ、そんなに彼女が「『なーんてね!』『信じちゃった?』」……また嘘ですか?」
「『こんなの信じるのちゃんだけだぜ』『びっくりした?』」
「む…」
禊さんは私をからかいたいんだろうか。本心から引っかかるわけではないけれど、本気の顔(というかいつも通りの顔)で言い出すからたまに分からなくなる。いつの間にか、嘘の中に本当の事を混ぜていそうで。
「『あはは、むくれちゃってー。』『可愛い顔が台無しだぜ』」
「それも、嘘ですか?」
禊さんがニコニコ笑顔をぴたりとやめる。あまり聞かない低い声でぼそりと、何か言った。
「え、禊さん…何ですか?」
「『なんでもなーいよっ』『おっと、早く行こうよ!もう夕方になっちゃうよ!』」
パッといつもの顔と声に戻る。もしかしてただ単に
「もう、ごまかさないでくださいよ!」
ゆるく走り出した軽やかな後姿を追いかけた。

「『嘘だよ』、とっても可愛い顔が、台無しだぜ」

異端者は嗤う