パッと影が駆け出した。
走り行く影の後には道が出来ていく。いや、道は元々あったのだろう、影は迷いもなく走り、走り、ただ走り続けた。
影は時折強く息を吐いた。影にとってそれは意味があるわけではない行いだった。
影は時折叫ばんとばかり言葉を発した。影にとっては内容など含まない音だった。
影が走るのを止めた時、もうひとつの影が現れていた。現れていたわけではなく、影はこの影を目指していた。もうひとつの影は横たわっていた。
走り続けた影は何もないように、もうひとつの影の横に手をついた。もうひとつの影が光に変わる。影も光に変わった。
「…であるからして……は…であり…」
何事もない、至って平穏無事な晴天の昼下がり。それは学生にとって実に舟をこぐのに最適な環境だ。数日前の快晴の時に、がそう雄弁を振るっていた。確かに、窓際に座るオレには尚更素晴らしい環境だろう。
午後の授業は退屈で評判の教師が黒板に向かって教科書を読み上げていた。暖房の効いた教室をさっと見回すと、舟漕ぎに忙しいクラスメートが渋滞を起こしていた。さすがにそれはまずいだろう。
「…聞いているのか!」
黒板に背を向けた津波が舟を次々と襲った。
「ねぇ、オレ思ったんですよ」
「何を?」
「何だと思う?」
誰も知る訳ないのだ、第一に、他人の思考というものは。が雄弁を振るう。簡単に言うならば、自分だって整理がつかないというものが他人に何のきっかけもなく理解されるのは怪奇現象だという話。何もなく理解されたらそれは怖い。例えば、こうしている傍からオレの考えがに漏れていたら、そう、恐ろしい。
「君はオレにとってとても輝かしい存在なんだな、って。」
「そう」
「…感想はそれだけで?」
「ならば貴方はわたしにとって鏡のような存在なんだ」
鏡。ミラー。撥ね返すもの。オレが、にとって。その心は?輝きを反射する、鏡。
「わたしも思ったんだよ」
「何を?」
「何だと思う」
「分かっていたら怖いでしょう」
「わたしは貴方が好きなんだ」
「あぁ、分かっていたよ。怖いね」
「怖いね」
オレも君が好きなんだ。
「次になんて言うと思う?」
「貴方が次に言う言葉。聞いて、わたし分からない」
「オレも分からない」
「じゃあわたしがなんて言うと思う?」
「君が次に言う言葉。聞いて、オレは分からない」
「教えて」
「メリークリスマス。」
「メリークリスマス。」
がメリークリスマスとなぞると同時にオレが紡ぎ出す。
「じゃあ次になんて言うと思う?」
「分からないから言ってあげる。プレゼントにあげるのは劇薬だけ」
「確かに、劇薬ですね」
そうは言うが劇薬は簡単に致死量に達してしまう。残念ながらそんなものはプレゼントするべきではない。だからあげるべきは毒薬だ。一生苦しむほうがいい。それが素敵、それが美しい。笑うオレにが断固とした口調で言い放つ。つまりは毒薬をくれるらしい。オレに美しくいろと、そう言わんばかりだ。
「君も美しくいるといい。劇薬をあげる」
「匙加減を間違えた毒薬をあげる。」
匙加減を間違えた毒薬は甘かった。