ぞわぞわと差し迫る何かに思わず体を起こした。気付けばぐっしょりと汗をかいている。
「……夢か……」
幾つもの黒い影が俺の足下で蠢き、足首を掴んできては問いかけてくるのだ。どうして切り捨てたんだ、どうして殺したんだ、それは盗賊として生きていた俺が積み重ねていった屍のようだった。持ち主は見えずとも闇深くに引き込まんと伸びてくる手。俺の業を突きつけてくる、冷たい夢だった。
「俺の切り捨てていった誰か、か……」
一言、恐ろしい、それだけで片付ける事は出来ない。どれだけ遠い昔であろうと確かに経てきた道なのだ。
まだ夜中だが、寝直すにも気持ち悪い。しばらくぼーっとしてからTシャツくらいは着替えるかとベッドを抜け出した。
「はぁ」
夢見が良くなかったのだから当然と言えばそうかもしれないが、気分は優れないしいまいち寝た気もしない。余計にだらだらとしていると、控えめなノックが響いた。
「……どうぞ」
「起きていたのね、蔵馬」
「起きていると思ったから来たんじゃないんですか」
寝間着姿のままのがそっと部屋に入ってきた。一緒に住むようになってからも、薄着のを目にする事はあまりなかった。
「どうしたの? 嫌な感じがして、その」
「別に何でもありませんよ」
やわらかい声が、うそつき、と呟く。
着替え終わるとドアに凭れていたが抱きついてきた。ああ、今日は何か変だ。
気怠げな蔵馬の顔には髪が張り付いていた。その前髪をかき上げると蔵馬は困ったように笑う。
「こそ、どうしたの?」
そうやって誤魔化そうとして見える。どうかしたのは蔵馬なのだ。
突然寒気がして目が覚めた。部屋には私だけしかいないのに、苦しそうな声が聞こえた気がして、眠っているはずの彼の様子を見に来たのだ。ノックをしたら返事があって、入ったら辛そうな立ち姿を目にした。放っておけるはずはなかった。
「一緒に寝ましょう、蔵馬」
「どういうつもりですか?」
「そのままよ。不純ね」
鼻で笑うハスキーな声に微笑んで返す。恨めしいかな、細い腰に抱きついたまま、ベッドにずるずる引き込む。抵抗せずに引っ張られる蔵馬はベッドの縁に腰を下ろした。
「何をしても責任取りませんから」
「一体何があったの? 夢?」
「……」
何だか答え辛そうだ。緑の瞳は僅かに揺らぎ、長い睫毛が伏せられる。
「……暗かったんだ。俺が盗賊をしていたのは知っているよね」
「えぇ」
「魔界じゃ珍しくも何ともない事さ、名を上げるために様々な妖怪が跳梁跋扈していた。俺もその中にいたんだ。だけど」
ハスキーな声が低く沈む。
「そうやって生きていくために、当然多くの妖怪を倒してきた……殺してきたんだ」
「蔵馬……」
「敵だけじゃない。不必要になった仲間を始末した事もあるよ。そいつらが言うんだ、何故だってね」
話しにくいだろうに、蔵馬の口は淡々と語り上げる。色々あるに決まっている。彼は、妖狐蔵馬は永い時を生きている妖怪なのだから。
「当たり前の事なんだ。この十数年の方がイレギュラーなのに、今更……」
ぽろりぽろり、蔵馬の頬が濡れていく。
どれだけの時間を生きてきても、どれだけあり得ない話でも、今在る彼は南野秀一でもある事に変わりない。それを誰が何をもって意見出来るものか。
「君といるのが怖くなる。いつか君もあの暗闇に沈むのかと思ったら、俺は」
聡明で冷静な蔵馬が、過去の夢に囚われて震えている。慰めるなんて柄ではなくて、ただその体を強く抱きしめる。
「在るからにはいつか朽ちてしまうわ。長短があれどそれは定められた事。けれどね、蔵馬」
「……」
「私は貴方を怨んだりしない。私は貴方を置いて逝ってしまうでしょう。それは私が人間だからというだけだもの」
「それじゃあ、俺がを怨んでしまうね」
「そうよ。私から怨む事はないの。地獄に落とされる筋合いだってないわ」
霊界へ召されたら、あのコエンマを笑ってやるくらいには思っているのだから。だから今はそんな心配をしないでほしい。
「また暗闇が蔵馬に憑くなら私が追い払ってあげる、ねえ、蔵馬」
「ありがとう、……」
寝ましょうか、と言って2人でそのままベッドに倒れ込んだ。
雨降る夜のクロレ