プライドの話。



「え…なんですか?」
「いや、なんでもないけど…」
そう、なんでもないんだけど、と蔵馬は繰り返す。
「オレの上に乗るの止めてくれないか?」
は何も聞かなかったかのように蔵馬の上から退こうともしなかった。

広大な森の片隅だった。は蔵馬の上に、いわゆる馬乗りで乗っているが、蔵馬が強要していないのは勿論の事、彼女がそうしたかった訳でもない。ただからしてみれば偶々そこに蔵馬が居て、結果として蔵馬の上に覆い被さるようになってしまっただけなのだ。加えて言うならば、足首を捻って退くに退こうと思えなくなってしまっただけ、でしかない。しかし。
、なんでオレの上に乗ったままなんだ?」
蔵馬のこの問いにはこう返した。
「気分。」
もちろん、それが本意でない事くらいは蔵馬も理解しているところだが、問題は本意かどうかではなく、なぜ自分の上から退かないか、なのだ。何の説明もしていないの自己完結に終わっており、蔵馬にはの足の異常すら、1つも理解できていない。
動くに動けない蔵馬はどうしようか思案に暮れる。
「ねぇ、退いてくれない?」
一拍置いて渋々と言った具合に返答がくる。
「…嫌」
「もしかしてと思いますけど」
蔵馬の丁寧なもしかして、は大体当たる。そしてその顔が穏やかでない以上、彼は心中も穏やかではない。は慌てて自分から話し出す。
「く、蔵馬がここにいると思わなくて!着地にちょっと失敗して…!それで…」
「それで?」
「それで…今に至るの」
蔵馬が満足げに笑う。は思わずふっと息を抜いた。刹那。
「途中の説明が抜けていませんか?」
蔵馬の顔は満足げに見せたに過ぎなかった。息を抜く、それは蔵馬に対したが行う、後ろめたいことの後の行動。少女は老獪な狐に鎌をかけられていたようなものだ。端正な顔立ちであるだけに、蔵馬が眉を吊り上げるとかえって怖い表情となる。はその顔にこそ怖いとは思わないが、その顔をしているときの蔵馬の内情はよく理解していた。
「…蔵馬…?」
「何を抜かしたんです?」
「何の事?」
「説明ですよ。とぼけられるとは思ってませんよね」
倒れたままだった上半身を起こした蔵馬に、は身を引こうとする。
所詮は無駄な努力だった。捻った足の動かせないは、腰に腕を回されただけで、もうそれ以上後ろに引くことなどできなかった。お互いの顔まで、10pもない。
「ねぇ、?」
「く、くらま、ちかい」
目の前の少女が嫌がっていると分かっていて、蔵馬は至近距離で微笑んでみせる。が顔を背ける。力では敵わない事を理解している少女を可愛いなぁと呑気に思いながら、蔵馬は彼女の腰に回していた腕で肩を掴み、自分の足を引きながら、を押し倒した。
「…っあ…!!」
声になりきらない悲鳴が蔵馬の耳を貫く。ハッとしてのおかしなところを探ろうと身を起こし、すぐに異常を見つける。
の足が中途半端に宙に浮いていた。
「…ちょ、ちょっと…
蔵馬が浮いていた足に優しく触れる。
「く……っ」
「もしかして、、足挫いたんですか…?」
「あ…やっ!かっ、確信犯!分かったなら触んないで…〜っ!!」
の足首は腫れていた。あぁ、と蔵馬は理解した。
は決してプライドの低い人間ではない。そこでまず足を挫いたという事実を知られたくなかった。また、その足を挫く原因となったのは蔵馬。いないと思っていた人が自分の着地点に現れたことで避けるに避けられず、しかし、その人を踏む訳にもいかず自分の足を犠牲にしようとしたのだ。蔵馬はの理解し得る限り、または自他共に認めるほどに、が傷つく事を恐れ嫌っていた。彼女の傷ついた原因が自分自身だと知れば、どんなに些細な怪我であったとしても必ず大なり小なり自責の念に駆られる。
とにかく、は蔵馬に、足を挫いたことを知られたくなく、そのために蔵馬の上から退くことも出来ずにいたのだ。
「…あ、ははっ…貴女は本当に可愛いことをするね」
「なっ……笑わないで、蔵馬」
「ふふ、ごめん」
蔵馬はの上からそっと退き、彼女の挫いた足に負担を掛けないようにと横抱きにを抱き上げた。予想していなかったことに、は動揺する。
「きゃ…っ!」
「手当てしなきゃね。暴れないでくださいよ」
足を痛めている以上、は大人しくする他なかった。蔵馬はゆっくりと笑った。その顔がまた近かったのだが、逃げる術などある訳がなかった。