目が覚めて、起き上がってみた時計の針は昼を前にしていた。簡単に着替えて、身なりを多少整える。
「あら、遅かったわね秀一…起こしにいったのに、疲れていたの?」
ダイニングに降りて真っ先に母さんが心配そうに顔を覗き込んできた。
「具合は悪くない?」
「大丈夫だよ、心配しないで母さん」
「…でも…あれ、秀一が書いたんでしょ。その…」
母さんが言い淀んでいるのが何の事か、さっぱり分からなかった。顔をちらと廊下には向けたのでそれに倣ってはみたけれど分からない。
オレがしたこと。廊下にあるもの?書いたもの?何の見当もつかない。
「何か、書いたっけ」
「何かって…電話のメモ、取っていかなかったでしょ…大事なんじゃないの」
電話?
その、それだけの単語に引っ掛かりを覚えて、返事もせずに慌てて電話の横に置かれたメモを見る。一番上の1枚が、だいぶ黒く埋められていた。単語の羅列、いや、言葉の羅列。乱暴に書かれた、メモらしいメモ。確かに、これはオレの字で。
『は会えない』 『ありがとう』 『大好き』 『オレには届くから』 『これからもどうか』 『幽助達には言わないで』 『大好きです』 『大好きでした』 『ありがとう』 『にはもう会えない』 『泣いてる』 『泣いてた?』 『愛してくれたんだ』 『泣かないで』 『届いてよかった』 『さよなら』 『見つけてね』
縦や横や、適当に並んでいて順番も分からなかった。オレのメモなのか、それとも、彼女の言葉なのか
「…?」
オレは昨日の夜に何をした?記憶が全くなかった。ただ、手元で震えるこのメモ書きは、確かにオレがした事を記している。オレが記憶していない事を記録している。
「と、何があった…?」
電話横のメモを使っているんだ、ここで電話したんだろう。だけど、どうして何も覚えていない上に、こんなメモを残しているのか。
自分で書いている事には、とはもう会えないという。しかも幽助達には言わないでと書いてある。書き方からして、そう言われたのだろう。しかしこれからもどうかと未来を示してもいる。会えないというのに、見つけてねと言う。ありがとう、彼女が口癖のようにいつもオレに笑顔を向けてくれている。大好きです、知ってる、大好きでした、どうして過去形になった。オレには届いて、でも届いてよかったとの言葉、オレに届かない可能性があったようだ。泣いてる、から泣いてた、という疑問になり泣かないで、という恐らくオレ宛に変形した言葉。さよなら。
さよなら
オレにだったら届くかどうか、分からなかった さよなら
それは嫌な予感というには随分とリアルに実感があって、とても周りの事など見ていられなくなった。メモを破り取って玄関から飛び出す。後ろで母さんが何か言っていたような気もした。
どことも考え付かぬうちに走り出したけれど、我に返ってみれば件のの家に向かっていた。このまま行っても仕方がないけれど、連絡は取れないのだろう。自室を出る前にポケットに突っ込んでいたケータイを出して、予想はしながらダイヤルする。
プルル…プルル…
耳元で響く機械音。何コールしても、出てはくれなかった。留守電に切り替わる事すらない。軽いはずのケータイを持つ手が大人しく耳の横にいられなかった。
「…出てくれ……!」
予想通りだった事が、嬉しくなかった。ダイヤルをし直す内に見慣れた一軒家の前に着く。いつも通りの、閑静な住宅。ドアホンに飛びつく前に、扉は開いた。
に似た風貌の、落ち着いた女性が驚いたようにオレを見る。
「えぇと、南野くん…だったかしら?大丈夫?顔が真っ青よ」
「は!…さんは、その」
「おもてなしは出来ないけれど、上がって頂戴。倒れてしまいそうよ」
言われてみなくとも、肩で息をするのすらやっとだった。
「今からね、のところに行くのよ。」
「南野くんも…何かあったんでしょう、いらっしゃい」
彼女の両親は寛容に接してくれた。行きましょうで出かけた先は、病院だった。私たちはお医者様のところに行くからと、病室にオレだけが、オレとが残された。
常より真っ白い肌で、それこそ雪のような肌の色をしていた。病院の寝具と一体になってしまいそうにそこにいて、だけど確かに彼女が電話をくれたのだろう。
「」
触れることは出来なかった。崩れてしまいそうで、目の前から消えてしまいそうで。
「…」
紛れもなく彼女が伝えてきたという事実の証明には十分だった。もういい。何が起こったのか、きっと何も言わなかったんだからは知られたくなかったのかもしれない。本当なら俺にすら、この姿を見られたくなかったのかもしれない。
幽助達に言わないでというのは、それはそうかもしれない。
「…ごめんね、オレは君を」
人のいい両親が戻ってくる前に、病室を後にした。
篭められた愛
(オレには、伝わりました。オレこそ君が大好きです。何年でも何十年でも何百年でも生まれ変わるのを待っています)