やだよ、行かないで。そんなものは甘えた言葉と思う。
被った面で顔を隠してはそう言った。本当に、高潔というか孤高というかそういった言葉こそ似合う少女だ。ただ顔が見えてない以上表情が読めないのだからそう言い切って構わないかは疑問だ。大体どうして仮面なんて着けているのだろう。狐の顔は薄ら笑いのまま表情を変えない。
「どうしたんです」
「何がかしら」
挑発的ですらあるムッとした口調で聞き返された。険のある声とは裏腹に頭が僅か揺れている。フラフラしているとは、珍しい。不快そうには腰掛けている椅子から立ち上がった。頭をくらくらさせたまま踏み出したその足は残念ながら自重にさえ耐えられないまま縺れた。見ていられない。机を挟んだ彼女の隣へと駆け寄った。
腕を伸ばして崩れ落ちる前に抱き留めた体は熱い。まともに立つことすら出来なかったのは熱を孕んだそのせいだろう。何に遠慮し何を考慮して黙ろうと思ったのやら、はこんな状態で自分の不調を隠し通せるとでも軽んじていたのか。
「」
「離して」
「倒れられても困るよ」
細い体は芯をなくしたのかしな垂れた。少ない言葉の内に感じ取れたものがあった訳ではないだろう。もう彼女の体は限界に近いはずだ。誰と対そうが――俺さえご他聞に漏れず――気丈に振る舞い弱みを晒さない。その面も、恐らくはバリケードの一環だ。椅子に座り直させて面を剥ぐと赤く上気した顔が、潤んだ瞳が俺を睨んだ。
「蔵馬」
「随分熱があるじゃないですか。無理しないで」
「私は大丈夫」
「大丈夫ならよろけません。」
「……」
「帰りますか?」
普段のなら首を振りそうな質問をしたものだけれど、実際の返答は無反応だった。返事をするほど余裕がないのか返事をすると何かに負けるのか。同年代の学生と比べて格段に扱いにくいお嬢様である。人に頼る性格ではないから体調不良さえ素直に伝えられないのだろう。
俺がこんな彼女にかまうのは、決して惚れた弱みではないはずだ。
「せめて保健室で冷やすものをもらっていきましょう。君が保たない」
「大丈夫だと言っているのよ、蔵馬――」
逃げようとしたのか俺を押さえつけて踏み出した華奢な足はやはり支えにもならないただの錘だ。その体を抑えるだけの力を入れているとはいえ、この腕一本あげることすら出来はしない。傍から見た場合どこをどう判断したら大丈夫だと言えるだろうか。気丈なお嬢様にこれ以上説得をしようとしても無理な事は目に見えている。どうせ抵抗もろくに出来ないのだ、実力行使で行く方が早い。事が済んでの反抗なんて意味がないし、それはにも分かるはず。
世話が焼けることこの上ないと茶化しての気を逸らすのは簡単だった。椅子に預けられていた身体はすっかり俺へと支えを変える。否、変えられただろうか。
「く、らま」
意地を張るのもお手上げか。よほど弱っているらしい。ゆるゆると手を伸ばして、結局どこにも掛けず降ろされる。しんなりとした姿には可愛げも生まれるのだけれど、口にしたらその途端瞬時に儚い元気を振り翳すに決まっている。
「、大人しくしていてね」
「ん……」
横抱きにしてから、荷物が持てない事に気付いて一旦を椅子に座らせる。牙城を崩し熱に身を委ねたには状況がいまいち分からないでいるようだ。理解したらきっと罵倒されるかな、そっと苦笑したけれどからの反応は全くなかった。
2人分の鞄とを抱えて保健室に行き、冷却シートをもらった。誰もいなかったのでもしかしたらくすねたと表現した方が似合ったかもしれないけれど、それを指摘してくれるような人もいない。ひんやりとしたのに身を捩じらせて、それでもその程度で立ち直るほどの容態は軽くなかった。おとなしく家路について、周囲の遠巻きな会話で奇異な光景になっている事に気付いたけれど構ってはいられない。とにかく彼女を安静にさせなくてはならないのだから。
「あと少し我慢していてくださいよ、」
「う、ん……?」
「もうすぐだから」
彼女はマンションの一室を借りて1人暮らしている。部屋の鍵は事前に鞄を物色したらすぐに見つかった。保健室に誰もいなくてよかったと色々な意味で思う。
他人の部屋ではあるのでお邪魔します、と殆ど認識を放棄しているに小さく言う。電気をつけてベッドに寝かせると、彼女を降ろした腕に手が掛かった。そっとその手を離す。
「くら、ま」
目元に涙が溜まっていた。熱に浮かされた、弱った少女。普段お目に掛かる事のない貴重な姿に少しだけ笑う。
「待ってて。もう家だから、大丈夫」
制服のままだったけれど、まさか着替えさせる訳にもいかない。そっと布団をかけてキッチンに行く。コップと大きめのボウルに水を入れ、冷凍庫から氷ももらった。綺麗に整頓された部屋では物を借りるのも容易だ。小さなタオルを1枚出して、また寝室に戻る。
「?」
「……何……」
「水飲んで。薬はあるかな」
「薬……?」
細い指がふいとあらぬ方向を示す。その先を見ても、何もない壁。あるとしたらその向こう、突き抜けて薬局。
は実に小さくあっち、と言った。室内を指しているつもりなのかもしれないけれど、さっぱり伝わって来なかった。
「あぁ、うん、分かった」
分かっていないけれどとりあえずそう返事をする。キッチンに戻り彼女が薬を仕舞っていそうな所を勝手に物色すると、あっさりと見つかった。元盗賊としては面白みのない家だと笑いながらベッドに戻る。
「?」
「…………ん……」
どこか辛そうではあるが、は寝息を立てていた。状態から察するに1日耐えるのも大変だったろう。これで少しでも回復すれば目を覚ました後はまた意地を張るのが目に見えている。まずは勝手な事をと文句が飛んでくるかもしれない。早く治ればいいと願いながら頭を撫でる。
「……す、きよ…………くら……ま」
聞き逃さなかった可愛らしい寝言。普段から素直なら親しみやすいだろうに。
冷却シートの代わりに額に乗せたタオルを氷水に浸していつまでこうして静かなものか、気位の高い少女の貴重な姿を拝みながら布団を掛け直した。
熱におかされて吐きだしたもの