鼻歌が聞こえた。とても楽しそうな、だけど静かな歌。旋律には大して聞き覚えがない、いや、僕はどんな歌に対してもそうだろう。人と離れた暮らしは、それを十分可能にさせてしまった。今軽やかに歌う彼女は『十三組の十三人』でもないくせに、この箱庭学園時計台地下二階日本庭園型ビオトープへ遊びに来る変わった少女。殺人衝動の隣に近寄る変わった少女。異常の僕に言われたくはないかもしれないけれど変わっている。
「宗像くん」
さんはにこにことしながら僕が突き出した刀を紙一重で避ける。
「何だい」
「一通りお水をあげたんでしょう?お茶にしない?」
首を傾げながら、もう一本出した太刀も避ける。器用な事だ。加減しているとはいえ、これほど正確に回避する人も、回避しながら会話する人もいない。いや、少なくともいなかったのだ。それこそ反射神経の高千穂くらいなものか。
「…いいよ」
さんが同じ学年である事以外どんな所属の誰かは知らない。だけど時計台の地下にいるという事は、彼女もまた拒絶の扉が拒絶しないだけの異常の持ち主だろうから、どうせ十三組の人間だ。つまりクラスメイトなんだろう。
「うん、そういうと思って実はもう用意してたの。」
「僕が断ったらどうするの」
「捨てるわ、万が一断られたらだけど」
今度はこめかみに突きつけた銃を額に当て直す。ここまでやる人間なんて、もうさんしかいないだろう。この学園中をくまなく探したっている訳がない。殺人鬼として殺意をばら撒き凶器を出し続けているはずなのに、彼女だけは避けても逃げはしないし、ファーストコンタクトからやっているのに何度も遊びに来る。
「ねぇ宗像くん」
「何?さん」
さんが額に銃を当て直した事で、今僕と対面している状態だ。なんて滑稽な状態だろう。僕は左手に水撒きしたままの桶を提げたまま、右手で銃を構えている。さんなんか手ぶらで泰然自若とした姿に銃を向けられているのだ。引き金を引いてしまおうか。そう思ってもう何度もあった機会を、全て棒に振っているわけだけど。
「宗像くんは、いつこ…」
「?」
「あ、ううん、何でもない。冷めては嫌だから、早く茶の間に上がって、ね。」
「…うん。」
言われた通りにした。
しようとした。
カラリ、と桶が転がった。



「名瀬…」
「ん?」
思いつく先といえば当然ここだった。
さんは急に苦しそうな顔になって、倒れた。引き金を引くより先に、殺すよりも先に倒れてしまった。どうしていいかなんて分からなかった。
「ったく、宗像先輩が急に来るなんて何かと思ったぜ。しかもお姫様抱っことかよー」
さんは…」
「あ?あー。発作だろ」
発作?初めて聞いた、そんな事が起きるなんて知らなかった。いや、僕はさんのことなんて名前と学年以外何も知らない。共に過ごすうちに知ったつもりの事があるくらいで、知っている訳がない。
「名瀬は知っているのかい、彼女のこと。」
「知っているも何も俺のラボに入院中だぜ?実質的に住んでるようなもんだしな」
初めて知ること、ばかりだ。まさか、入院している身だなんて思わなかった。名瀬のラボだから、実験されている身なのかもしれないけれど。
「しっかしねぇ…宗像先輩んとこなー。ん?今は水やりしてたんだよな」
「あぁ、そうだけど」
「ふーん。宗像先輩自身のフロアに行った事は?」
「ないよ。彼女はあの庭園が好きなんじゃないの」
「……まじかよ」
名瀬はぽかんとした顔つきで僕を見上げた。
「おいおい、時間なくなっちまうよ…馬鹿な先輩だなあったく…」
「時間がなくなる?どういう事だい?」
最早名瀬は唖然とするどころか身を退いている。口をパクパクとさせて、あの名瀬が金魚みたいだ。さんに、それだけの何かがあるんだろうか。
「名瀬?」
「いや…さすがにそれは俺からは言えねーよ。先輩が言ってないんじゃあ多分…」
「いいから、教えなよ。」
名瀬を睨みつける。嘆息交じりに、口を開かれた。
先輩は、俺の診た所今年いっぱいの命だ。本人には言ってある。あとは言えない。
 …ただ、先輩は庭園なんか二の次だろーよ。糸島先輩のいる時には行った事がねえ」
「……あ、名瀬ちゃんそんな事言っちゃうんだ…ひどいなあ」
さん!」
寝かされていたベッドからさんが体を起こす。とてもフラフラしていて起きていい状態だとは思えない。助け起こそうとすると、それとなく拒まれた。
名瀬は居心地の悪そうな顔で何も言わずに立ち去ってしまった。さんは気にも留めないかのように口を開く。
「ごめんね、宗像くん。お茶冷めちゃったよね」
「そうじゃないよ。」
「あはは…そうよね。よく分からないの、自分でも。こんなにも当たり前に生きていて…」
「前から、そうだったの?」
考えるような素振りをしてから、さんは僕をじっと見る。逸らすに逸らせないので、僕もずっと見る。
「初めて会った時から、そうだったの?」
「そうだったよ。同じ死ぬのならその前にしておきたい事があって、二階にまで上がった」
「糸島じゃなくて」
さんはスッと柔らかな笑みを浮かべる。
「そう、宗像くんに。」
笑った。だから殺す。
最初に会った時は確かにそう思ったのに、今は殺したくても殺せない。殺しては、殺そうとしてはいけない。
さんは…また、あそこに来てくれるんだよね」
「もちろん、宗像くんが嫌だって言わなければ行くよ」
「来てよ。僕のフロアじゃないけど、整えておくから…卒業するまでしているから」
「うん」
今日はもう疲れたから、と苦笑するさんの頚椎に、じゃあ帰るよと抜き身の刀を当てた。
「…!!」
「また明日、ね」
いつも避けていたさんはあまりにも不恰好な白羽取りで応えた。


箱庭の中君を好く